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映画をぶっ壊せ!!『ターミネーター2編』⑨:第二幕後半2(全10回)

このブログを読む前に一つだけ。思いっきりネタバレします。

さて前回の続き。第二幕後半の後半(言い呼び方ないかな)の2つのシークエンスをぶっ壊していこうと思う。

3.サラによるダイソン邸襲撃
4.サイバーダイン社襲撃

3.サラによるダイソン邸襲撃

1時間17分〜

さあ、休憩はもう終わりだ。ここからラストまでほぼノンストップとなる。

ジョンとT-800の穏やかで平和なシーンから一変、サラの夢の中へとシーンは移る。
審判の日だ。冒頭ではチラ見せだった審判の日。ここでは、しっかりと見せていく。世界が核の炎に包まれ、若いサラと幼いジョン焼け焦げ、サラの証言の通り、木の葉のように吹き飛ぶ。

その悪夢に飛び起きたサラ。するとすぐにT-800とジョンを残し、一人車で立ち去ってしまう。

「NO FATE(運命などない)」

映画ターミネーター2のワンシーン。サラ・コナーが机に刻んだ「NO FATE」の文字。

そうメッセージを残して。

ジョンはすぐに、死んだ父親が未来の自分から教えられたメッセージをサラに伝えたものだと気が付く。(何を言っているのかよくわからないが)サラは自ら運命を変えるのだと。

それはダイソンをターミネートするという選択。
ジョンは正しいことではないと、サラを止めに行くことを決意する。一方、合理的なT-800はターミネーターらしくダイソンをターミネートすることで未来が変えられるかもしれないと賛成するが、ジョンは主人公らしくどんな理由でも人をターミネートしてはいけないんだと突っぱねる。

主人公であるジョンの態度は序盤から変わらない。
シド・フィールドは、魅力的なキャラクターを構成する4つの要素をあげている。

  • 劇的欲求(物語の中で何を欲しているか)
  • 視点(世界の見方、道徳観、善悪の価値判断など)
  • 態度(実際に表に出ている態度。善人に見せかけた悪人など、視点と異なる場合もある)
  • 変化(物語の最後にどう変化するか)

この4つだ。この4つは最初から最後まで一貫することが大事。これが途中でブレると物語もぼやける。
もしそれらを途中で変えるのであれば、それ相応の物語上の理由が必要になる。

例えば、『ゴッドファーザー』(72)の主人公マイケル・コルレオーネも、序盤はカタギを貫き、ファミリーから身を遠ざける態度だったが、父親の暗殺未遂をきっかけに、態度と視点を変えて、ファミリーの仕事にどっぷり使っていく。物語上の納得できる理由がないと基本的にやってはダメ。

そういう意味でジョンの視点(善悪の価値基準)と態度は一貫している。ジョンの視点と態度が物語を動かす。まさに主人公が物語をしっかりと前に動かしている理想的な物語の運び方になってるね。

とはいえ、ダイソンをターミネートするのは合理的な判断だよね。だけどジョンがそれを止めた。すなわち作者がそれを止めたということ。それはなぜだろう。

それは、やはり観客の共感の問題だ。
ダイソンはただの会社員で、妻も子供もいるごく一般的な男(収入は高そうだけど)だということ、悪意を持って開発をしているわけではないことを観客は理解している。言ってしまえば観客と同じ一般市民だ。そんな彼を本当に殺してしまった場合、共感できない人が多く発生することが容易に想像がつく。(もちろん全員じゃないと思うけど)

逆に、ダイソンが意図的に世界を征服しようとターミネーター軍団を開発しているような極悪エンジニアだったら、観客も迷わず「ターミネートだっ!」ってなる。

実際に、サラがダイソン邸に到着して最初に観客に見せたものは、妻と子供の姿。これは完全に意図的。サラが間違いを犯そうとしていることを明確に観せてる。

サラは幸せそうなダイソンを見ながらも、意を決してダイソンを襲撃。ダイソンは恐怖に震えながら子供を庇い、子供たちだけは助けてくれと懇願する。

サラ「黙って!黙って!ぜんぶあんたのせい!全部あんたのせいなのよ!」

ジェームズ・キャメロン&ウィリアム・ウィッシャー著, コンプリート・スクリーンプレイ「ターミネータ−2」, 1992年, p.321

この一連の流れ、ダイソンの妻視点だと、ダイソンとの不倫の果てにあっけなく捨てられた女が復讐のためにライフル(コルト・コマンドーCAR-15カービン)でダイソンを襲ったとしか思えない状況だ。

それはさておき、サラは最後の最後でとどめを刺すことができない。とうとうその場に泣き崩れるサラ。サラもまた人殺しに離れない善人だということがわかる。

そこへ、ジョンがヒーローのごとくかけつける。ヒーローはいつも少しだけ遅れてやって来る。

サラ「…わざわざ…止めに来たの?
ジョン「うん」
   (中略)
   彼女(サラ)、(ジョンを)強く抱きしめ、嗚咽にむせぶ。
サラ「愛してるわ、ジョン。いままでだってずっと」
ジョン「わかってるよ、ママ。わかってる」

ジェームズ・キャメロン&ウィリアム・ウィッシャー著, コンプリート・スクリーンプレイ「ターミネータ−2」, 1992年, p.321

二人は向き合い、強く抱擁を交わし、二人が親子になる瞬間を迎える。
これが瞬間だ。ジョンの葛藤が浄化された。

こうして、ジョンは父親に続き、母親との関係を修復することができた。これでジョンの葛藤は解消され、家族の再生が成し遂げられる。ここまで約1時間26分。ようやくジョンは信頼できる強力な父と最強の母を手に入れ、最大の脅威であるT-1000と立ち向かえる準備ができたのだ。

ここで一旦ジョンの物語は終わり。ここからはT-800の大活躍が始まる。

T-800が自ら腕の皮を剥ぎ、ダイソンの行いが未来にどう影響を与えるかを身を以て説明する。
結論として、サイバーダイン社に保管してあるターミネーターの腕とチップ、そして研究成果全てを破壊することを決意する。こうしてシークエンスが幕を閉じる。

4.サイバーダイン社襲撃

1時間30分〜

そして第二幕の最後のシークエンスだ。映画の流れもここから大きく変わる。第三幕に向けて大きなうねりを作り出していく。ちなみに、筆者はこのシークエンスが一番好き。何度、何度見ても最高のシークエンス。

ここからは信用できないマシーンも、不安定な母親もいない。3人のわだかまりはもう解消された。逃げてばかりだった3人は、未来を変えようと自ら反撃に動き出すんだ。

サラ「わたしにははっきりと見えていた未来が、いまや暗い夜のハイウェーのようだ。わたしたちは地図のない領域に踏み込んでいく…進みながら歴史を作っていくのだ 」

ジェームズ・キャメロン&ウィリアム・ウィッシャー著, コンプリート・スクリーンプレイ「ターミネータ−2」, 1992年, p.321

ちなみに、T2をぶっ壊してこのシークエンスを見たとき、第三幕の始まりはここだろうと考えていた。時間的にもちょうど90分くらいで、幕のバランス的にもちょうどいい。内容も逃げるのをやめて、攻めに転じるのがここだし、上記のようなこれから反撃するぜ!みたいなナレーションも入って、なおさらだ。

だけど、よくよく調べてみるとシド・フィールドも含め、他の解説サイトなんかをみても第三幕の始まりはこのシークエンスのあと、サイバーダイン社を脱出後だ。明確な理由も記載しておらず、隅から隅まで検証してみた。

結果、彼らが正しい。世の中がおかしいと思ったら自分がおかしいと疑えってやつだった。

理由を説明すると、第三幕は「解決」だと説明した。しかし、このサイバーダイン社のシークエンスは何も解決してない。それが一番の理由かな。映画冒頭から脅かされているT-1000の脅威が解決するわけでもなく(そもそも戦ってない)、サイバーダイン社は木っ端微塵に吹き飛ばしたものの、いちばん大事なターミネーターの腕とマイクロチップをその場では破壊しなかった。だから世界に安全な未来が確保されたわけでもない。

これはおそらく、第三幕でT-1000との決着とパーツ破壊を同時に見せることで、より凝縮させたな仕上がりにしたかったのではないかと予想。

そんなわけで、このシークエンスを第二幕のクライマックスと見ると、本当に素晴らしい。
T-800がその性能を如何なく発揮し、大活躍する場になってる。名台詞として名高い「Trust me」と「I’ll be back」もこのシークエンスに集約しており、気合の入り具合がよくわかる。

「Trust me」と言い残し、警官隊や特殊部隊をバカでかいガトリングガンで非殺傷をつらぬいて制圧するところ、「I’ll be back」と言い残して、SWAT部隊の一斉射撃をもろともせず、催涙弾入りのグレネード・ランチャーで部隊を壊滅するところ。
この2シーンは、個人的映画史上ベストシーンのうちの2つ。どっちが好きかって聞かれたら、一晩悩んでしまう。それくらい甲乙つけがたい。

ダイソンの死亡シーンも、今だにネタ?にされるほどの名シーン。
幼い子供と妻を残して、ダイソンが自ら死を悟り、犠牲になったのは残酷に思える。しかし、ダイソン自身が未来の憂いとなっており、それを断つ意味でも必要な犠牲だったと思う。何よりもあの死亡シーンがこの上なくドラマチックな仕上がりになっており、シークエンスの最後にふさわしいどでかい花火の火付け役としても、ダイソンの死は本望だと思う。

そんなこんなで、ジョンたち3人はとうとうサイバーダイン社を脱出。ここで第二幕が終了。
時間にして、1時間45分。第二幕としてはかなり長い。(だいたい90分あたりが一般的)

ただ、シドフィールドも言っているけれど、構成は概念のようなもので、公式ではなく、絶対的なルールではないんだ。テーブルで例えるとわかりやすい。テーブルの構成は、天板とそれを支える脚という組み合わせがその概念を作っている。要するに、脚が3本だろうが4本だろうが、天板が丸かったり四角かったりしようが、天板とそれを支える脚があればテーブル足り得るということ。

テーブルと言っても形はさまざま。構成も同じ。

一番大事なのは、構成を厳守することではなく、何が一番ドラマチックになるかが重要なんだ。
それを忘れちゃいけない。

次回はようやく第三幕「解決」パートだ。映画もブログもクライマックス。

といったところで、今日はおしまい。
次回で長い旅もようやく終わり。あと一息なので、もう少々お付き合いいただけると幸い。
では、また。

映画は、みんな素晴らしい。

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