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映画をぶっ壊せ!!『ハリー・ポッターと賢者の石』編⑧:第二幕・参

このブログを読む前に一つだけ。思いっきりネタバレします。

最も危険な場所と試練

本題に入る前に、前回の続きをぶっ壊していこう。
休憩パートの最後のシーンだ。これでリラックスパートは一旦終了だ。

ハリーの才能

55分5秒〜

教師のマダム・フーチからホウキの授業を受けるハリーたち。
その最中、ホウキの暴走でネビルが怪我をしてしまう。それを見たドラコ・マルフォイが彼を嘲笑する。それに怒ったハリー。ホウキに乗って挑発するドラコ。ハリーは制止を振り払って、ドラコをホウキで追いかける。それがハリーの才能を引き出す。初めて乗るホウキを見事に乗りこなすハリー。それを見ていたマクゴナガル先生は、ハリーをクィディッチのシーカーとしての才能を見出すのだった。それは100年ぶりに1年生がチームに入るという快挙だった。そしてかつて父親もシーカーだったことを知るハリーは、会ったこともない父親との繋がりを見つけられた瞬間だった。

今まで、小出しに観せてきたハリーの正義感あふれる性格と、その真反対にいるドラコが直接ぶつかる。そしてこの対立は、ハリーとドラコの人間性を映し出し、対立関係をはっきりと見せる。ハリーの正義感を見せるには、対比となる人物をぶつけるのが一番簡単だ。対立と言っても、命に関わるものではなく、子どもの喧嘩レベル。まだ安心して見られるシーンだ。

このシーンの本筋は、「ハリーのシーカーとしての才能が開花する」ことと「父親との繋がりを見せる」ことだ。それと同時に、ハリーの人間性を観せるシーンにもなっている。才能を開花させるだけなら、ハリーにマダム・フーチ先生の前で大して教えもせずにホウキをうまく乗せるだけでいい。しかし、そこに葛藤(対立)を組み込むことで、シーンに厚みをもたせ、面白いシーンに仕上がるんだ。

ここでもう一度、この言葉をおさらいしよう。

葛藤なしでは、アクションは生まれない。アクションがなければ、キャラクターを作ることができない。キャラクターなしでは、ストーリーが生まれない。ストーリーがなければ、脚本は存在しない。

シド・フィールド著『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』フィルムアート社, 2009年, p.352

ステージ7:最も危険な場所への接近(アプローチ・トゥ・ザ・インモウスト・ケイヴ)

1時間00分56秒〜

ここから本格的に物語が動き始める。休憩はおしまい。お遊びはこれまでだ。

ここまではいわゆる準備期間。映画に必要な情報をインプットし、休憩も十分に取ったところ。逆に言うと、ここまで原作な有名な作品でも、1時間もかけてしっかりと準備をする必要があるということ。それだけ、観客を物語に引き込むのは難しいということを証明してる。

ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は動く階段が原因で、ダンブルドアが警告していた場所へ迷い込んでしまう。ここで伏線を回収していく。映画の中の禁忌は破られる。これは決定事項だ。

ダンブルドア「右側の3階の廊下には近寄らぬこと。そこには恐ろしい苦しみと死が待っている」

そこで、ホグワーツの意地悪な管理人アーガス・フィルチに見つかりそうになった3人はとっさに目の前の部屋に飛び込む。そこには巨大な3つ首の番犬、フラッフィーが寝ていた。

いわゆるその場所が映画の中で、「最も危険な場所の入口」になってる。

ヒーローは想像もできない驚きや恐怖を経験することになる。冒険の中心となるオーディール(最大の試練)の最終準備をするときがやってきたのだ。

クリストファー・ボグラー著, 神話の法則 ライターズジャーニー, 愛育社, 2002, p.495
  1. 日常の世界
  2. 冒険への誘い
  3. 冒険への拒絶
  4. 賢者との出会い
  5. 第一関門突破
  6. 試練、仲間、敵対者
  7. 最も危険な場所への接近
  8. 最大の試練
  9. 報酬
  10. 帰路
  11. 復活
  12. 宝を持っての帰還

たいていの映画だと、「最も危険な場所」というのは、いろんな試練を乗り越えて、最終的に辿り着く場所だ。いわゆるRPGゲームで言うところの、ラストダンジョンの入口みたいなもの。英語でも”Approach to the Inmost Cave” となっていて、直訳すると「最奥の洞窟への接近」だ。まさにラスダンを表してる。

ラスダンだけに、本来ならもっと後半で来るフェーズにはなるんだけれど、ハリー・ポッターの場合、中盤手前のここで、3人に足を踏み入らせている。フラッフィーを起こしてしまった3人は、命からがら部屋を出る。準備も何もしていなかった3人は何もわからず、何もできずに逃げるだけだ。

現時点では、ここに何があるのかは、3人は全くわかってはいない。しかしながら、3人の中の優等生ハーマイオニーがある事実に気がつく。まさにこの情報に、このステージのポイントがある。

ハーマイオニー「あの怪物の足の下に仕掛け扉があったわ。何かを守ってるのよ」

今の3人にこのヒントの意味はわかりようがない。しかしながら、物語が進んだときにここへ帰って来るときがかならず来る。その時までに、あの怪物をどうにかする術を見つけなければならない。そのために一度ここを訪れる「必要」があったんだね。

アプローチ(接近)は、さらに詳しい偵察や情報収集、オーディール(最大の試練)に備えて武装する段階かもしれない。

クリストファー・ボグラー著, 神話の法則 ライターズジャーニー, 愛育社, 2002, p.495

他の映画でも最終決戦の場に、それまでの試練をくぐり抜けた主人公が勇んでで向かう姿が多く見られる。
AKIRA』では、オリンピックスタジアムに向かう金田。
インターステラー』では、ブラックホールに飛び込むクーパー。
オールドボーイ』では、ウジンのペントハウスに向かうオ・デス。

最も危険な場所」に入るには、相応の準備が必要。金田はレーザー銃を持って向かい、クーパーは娘に二度と会えない覚悟を持ってブラックホールに飛び込み、オ・デスは自分が監禁された理由を携えて向かう。

最も危険な場所」に立ち入るには、物語の中盤にどれだけ準備ができたかにかかっている。だからこそこの第二幕には、主人公が乗り越えなければならない様々な試練が散りばめられているんだね。

例外なく、ハリーもここ第二幕で様々な「試練」を迎えることになる。「試練」については、Part⑥の第二幕・壱で触れているが、もう一度おさらいすると、

通常この世界は、注意深く罠を仕掛け、防護壁や関門を築いて待ち構えるシャドウ(影/悪者)に支配されている。ここでヒーローは罠にはまり、悪者に存在を知られてしまう。ヒーローが罠にいかに対処していくかがテストの一環になっている。

クリストファー・ボグラー著, 神話の法則 ライターズジャーニー, 愛育社, 2002, p.495

ただ、一つ、覚えていてほしいのは、ヒーローが罠にかかるのはシャドウたちのせいじゃない。むしろ、喜んでかかりにいってるフシがある。映画中、見かけはシャドウたちの非道で巧妙な罠に運悪くかかってしまったように見えているが、ヒーローはどんな陳腐な罠でもちゃんとかかる。いや、むしろかからければならないんだ。

彼らはあえて罠にはまる。その時こそ、ヒーローの資質を証明するチャンスなのだ。

ハワード・スーパー著, パワー・オブ・フィルム 名画の法則, シネマ旬報社, 2010, p.415

そう。ヒーローがヒーローになるためには、罠、すなわち「試練」が必要なんだね。ヒーロー自身にとって「試練」がないと成長できない。「映画」にとっても、それを観る「観客」にとっても、それに苦しんで乗り越える姿を見て初めて、ヒーローを感じる

皮肉なことに、ヒーローにとってシャドウ(悪者)は必要なんだ。ハリーにとって、ヴォルデモート(普通に言えた)は必要不可欠な存在であり、ロミオにとってのジュリエットのように、切っても切り離せない存在だ。ハリーがどんなに偉大な魔法使いだとしても、敵のいない世界で普通に勉強して偉大な魔法使いになるプロセスを見たところで何の面白みもない。

なんだかとりとめのない話をしてたら、時間(文字数)が来てしまった。次回は、ハリーがどんな試練を受け、それがどんな意味だったのかを、シーンをぶっ壊しながら見ていきたい。
それではまた。

映画は、みんな素晴らしい。

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