このブログを読む前に一つだけ。思いっきりネタバレします。
ヒーローの選択
ハリー・ポッターシリーズ第一作「ハリー・ポッターと賢者の石」。今回はクリストファー・ボグラーのヒーローズ・ジャーニーを題材にして、映画をぶっ壊してみてる。
第一幕は、ハリーが住んでいた「日常の世界」から「冒険の拒絶」を受けながら、「新しい世界」に飛び込み、そこでハリーの最大のライバルにあたる「敵対者」、すなわち名前を言ってはいけないあの人の話を聞いたところで終わった。
第二幕からは、本格的にハリーはホグワーツの生活に入っていく。この回は主人公であるヒーローが、様々なシーンでどんな選択肢を取るかを中心に見ていこうと思う。
では、いってみよう。第二幕をぶっ壊せ!!
第二幕のはじまり
31分04秒〜
ハリーはダイアゴン横丁で必要な荷物、観客は映画を観るうえで必要な情報を得られたところで、とうとうホグワーツへ出発だ。出発の舞台はロンドンにあるキングクロス駅の9と4分の3番線だ。

ハグリッドに放置され、わけのわからない番線のチケットを渡されてとまどうハリーだったが、魔法使いの一族であるウィーズリー家の助けを借りて、無事にホームにたどり着く。
ヒーローズ・ジャーニー「ステージ6:試練、仲間、敵対者」
34分6秒〜
ハリーがホグワーツ特急に乗り込んだところ。このシーンの目的は、ステージ6の「仲間(アライズ)」との出会いだ。
一般的にヒーローとともに旅をし、彼の冒険の手助けをする仲間である。
クリストファー・ボグラー著, 神話の法則 ライターズジャーニー, 愛育社, 2002, p.495
定義は言葉そのまんまの意味だね。
「仲間」の役割は非常に大事だ。これからハリーは数々の「試練(テスティング)」を受けることになる。そのときに手助けになるような心から信用できる人物。その役割を担っているのが「仲間」だ。
だからこそ、主人公であるハリーは誰が信用できるかを見極めて見つけなければならない。それ自体が主人公の「試練」にもなっていたりもする。どんな人物を仲間にするかが試されている。
ところで、「試練」とは何を意味して、どんな役割を果たしているのか。
ストーリーテラーは、ヒーローを試すのに一連の冒険や挑戦を彼に課す。これには、ヒーローがこの先に待ち構える、より大きな試練に備えるという意味が込められている。
クリストファー・ボグラー著, 神話の法則 ライターズジャーニー, 愛育社, 2002, p.495
主人公は、映画のクライマックスに待つ、最大の試練に備えるため、物語の道中で数々の試練をくぐり抜けていく。ロールプレイングゲームだってそうだ。いきなりラスボスは倒せない。協力してくれる仲間を見つけ、自身もレベルを相当まであげなければならない。試練を乗り越えるために必要なのは、映画によって違うけれど、この映画で言えば、正義だったり、勇気だったり、知恵だったりする。第二幕の中で起こるイベントというのは、それらを獲得するのを観せるためにある。その集大成が第三幕の最終決戦につながっていくんだね。
映画『オズの魔法使』を見てほしい。エメラルドの都への道中でドロシーが出会う、かかし、ブリキ、ライオンは、それぞれ、知恵、心、勇気を象徴し、それを乗り越えることでドロシーも成長していく。これが試練の役割をわかりやすく象徴している。
前置きは長くなったけれども、ハリーの永遠の親友とも言える、「仲間」との出会いのシーンがここでくる。その「仲間」とは、もちろん、「ロン・ウィーズリー」と「ハーマイオニー・グレンジャー」だね。
出会いは特に事件があるわけでもなく、さりげない出会いのシーンになってる。でも、ハリーが経験できなかった同年代との他愛もない会話。ハリーは無邪気でとっても楽しそうで微笑ましい。
ホグワーツ魔法魔術学校
37分53秒〜
そして、ホグワーツ特急はとうとう目的地に到着する。そしてハリーの目の前に現れたのは、
岩山の上に月明かりに照らされた立派な城が見える。ホグワーツ魔法魔術学校だ。
この物語で、一番、美しく、荘厳で、神秘的で、衝撃的なシーンだ。僕の母親もここで腰を抜かすほど感動していた。なぜなら本で想像していた通りのホグワーツが目の前のスクリーンに現れたからだ。

彼らを出迎えたのは、冒頭に出てきたマクゴナガル先生。学校の基本ルールを手短に説明してくれる。
マクゴナガル「まず、皆さんがどの寮に入るか組み分けをします。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、そしてスリザリン。学校にいる間は寮があなた方の家です。良い行いをすれば寮の得点となり、規則を破ったりすれば、減点されます。学年末には最高得点の寮に優勝カップが渡されます」
これでハリーと観客は、次に何が起こるかを理解できる。原作を知らない人は、「へえ、組分けってイベントがあって、組同士で競争するんだ」と大まかな流れを理解することができて、原作を知っている人は、「ああ、あれはどんなシーンに仕上がってるのかな?」とワクワクしながらその時を待つ。
ここでも、「仲間」の選定はまだ続く。
バリバリの階級意識むき出しの少年ドラコ・マルフォイが、冴えないロンを一瞥し、ハリーの元へやってくる。ロンを見ながら、付き合う友達は選んだほうがいいと握手を求める。しかし、ハリーはそれを拒否する。
ハリー「…いいよ。友達なら自分で選べる」
ここで明確な意思を示すハリー。前述した信頼できる「仲間」を見つけなければならないハリー。逆に信用できない人物は決して関わらない。むしろ曖昧な態度は取らず、敵対する。ヒーローは、決して良い人間と悪い人間を見誤らない。常に道徳的に正しい選択ができるから。ヒーローだからそういう選択ができるのか、もしくはそういう選択ができるからヒーローなのか。鶏が先か、卵が先かみたいな話だね。
組分け帽子
41分32秒〜
これまた、豪華絢爛な食堂に入っていく一同。
ここで、ダンブルドア校長の登場だ。冒頭で赤子のハリーをダーズリー家の前に置いた張本人。育った環境が劣悪すぎて、ハリーに恨まれてもおかしくはなさそうだけど。
そんなダンブルドア校長から、学校生活における「やってはいけないこと」を説明する。
ダンブルドア「1年生の諸君、暗黒の森は立ち入り禁止じゃ。生徒は決して入ってはならぬ。それから、管理人のミスター・フィルチからも注意事項がある。右側の3階の廊下には近寄らぬこと。そこには恐ろしい苦しみと死が待っている」
映画の中で、ダメと言われたことは、すべて例外なく主人公はやる。暗黒の森に立ち入るし、右側の3階の廊下にも行く。「押すな!押すなよ!」は押せということである。やってはいけないことをあえてインプットすることで、サスペンスが生まれる。サスペンスの巨匠ヒッチコックも次のように言ってる。
隠された事実というのはサスペンスをひきおこさない。観客がすべての事実を知ったうえで、はじめてサスペンスの形式が可能になる。
フランソワ トリュフォー著,定本ヒッチコック映画術トリュフォー ,山田宏一, 蓮實重彦訳, 晶文社, 1990年, p.384
知らなければ、驚くだけ。知っていれば、「いつそこに行くんだろう?」「誰か死んじゃうのかな?」とシーンが来るのが待ち遠しくなる。これがサスペンスだ。
話は戻って、ようやく組分けの時間。組分け帽子をかぶって、それぞれの組にふりわけられていく。ロンとハーマイオニーはグリフィンドール、ドラコ・マルフォイはスリザリンだった。
ハリーが順番を待つ間、ロンからこんなことを言われる。
ロン「悪の道に落ちた魔法使いはみんなスリザリンだった」
それを聞いたハリーは、悪の道に落ちた名前を言ってはならないあの人の話もあり、組分け帽子にスリザリンだけはやめてくれと願う。ここでもまた、悪の道を明確に拒絶する。
ホグワーツに来てから、組分けが終わるこのシーンまでに、ハリーは仲間を選び、悪の道を拒絶するという明確な意思を何度も見せる。この一連のシークエンスの大きな目的の一つとして、ハリーという人間がどういう人間かを学ぶ機会となってる。
観客はハリーが正義を選択をできる人間だということを学び、主人公を信頼できるようになる。信頼できるようになれば安心して映画を観ることができて、共感も生まれやすくなる。一貫性のない、情緒不安定な人物に共感はしにくいよね。
結果的に、ロンやハーマイオニーと同じ、グリフィンドールに決まる。こうして大きなイベントが終わり、それぞれの一日が終わる。
話は少し戻って本筋の話。ハリーが組分けを待っている間、スネイプ先生と目が合い、おでこの傷に痛みが走るシーンがある。結論だけ言うと、これは完全なるミスリード。スネイプ先生の隣りで後頭部を向けているクィレル先生が関係する。初見ではわからないこのシーン。初見じゃなくても分かりにくいけど…。
物語の本筋がまだ本格的に始まっていない序盤。こういう伏線を散りばめることで、このシーンがどこに繋がるのかという、緊張感と期待感を生み出すことができる。
創り手は、シーンで起きていることだけに集中することなく、一瞬の隙間を埋めるように、たくさんの情報を詰め込んでいるんだね。
まだまだ続く第二幕。次回は、アーキテクトの「賢者」の話をしていこうと思う。
また見にきていただけると嬉しい。
映画は、みんな素晴らしい。

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