このブログを読む前に一つだけ。思いっきりネタバレします。
怒涛の「試練」ラッシュ
さて、前回までは第二幕の前半、ヒーローズジャーニーの「最も危険な場所への接近」というシーンをぶっ壊してみた。そして「ヒーロー」にとって「試練」とは何かみたいな話をして終わったね。あとは「ヒーロー」と「試練」は運命の恋人のように切っても切れない関係だということ。何故なら「試練」がないと、「ヒーロー」が活躍せず、観客が今観ている主人公が「ヒーロー」だとわからないからだ。
本編では、命からがらフラッフィーから逃げたハリー、ロン、ハーマイオニー。この事件をきっかけに、怒涛の「試練」ラッシュが始まる。
ちなみに、このブログはストーリーを追うのが主旨ではないため、重要なシーンもバシバシスルーします。
今更ですが、改めてお知り置きを。
試練① トロール戦と友情の始まり
1時間7分49秒〜
開幕のベルは、クィリナス・クィレル先生が鳴らす。
生徒たちが食堂でハロウィンパーティを楽しんでいるときに、クィレルが飛び込んでくる。
クィレル「トロールが!地下室に!あぁっ!トロールが入り込みました!…お知らせしま…す」
悲鳴をあげて逃げまどう生徒たち。
しかしすぐに、ダンブルドアの咆哮(必殺技みたいな響き)で、生徒たちを落ち着かせ、部屋に戻らせる。
ハリーはロンの意地悪のせいでハーマイオニーがトイレに引きこもって泣いているのを聞いており、ロンといっしょに抜け出して、ハーマイオニーにトロールのことを知らせに行く。
しかし、偶然にもハーマイオニーが引きこもっているトイレに、トロールが侵入。ハーマイオニーが殺されそうになっているところに、ハリーとロンが駆けつけ、ハリーの無謀とも言える勇気を持って飛びかかり動きを止める。そこへロンがハーマイオニーに教えられた、「ウィンガーディアム・レヴィオーサ(癖強)」でトロールを撃退する。
この試練で示したものは大きく3つ。1つ目はハリーの勇気。頭より体が反応し、後先考えずに飛びかかったハリー。ヒーローの素質が十分に備わっていることがわかる。そしてもう2つ目は、ロンの活躍。ハーマイオニーの嫌味な指導が功を奏してトロールを倒すことができた。最後の3つ目は、この事件をきっかけに3人の友情が始まったことだ。マクゴナガル先生に説明を求められたときに、命をかけて守ってくれたハリーとロンに対して、ハーマイオニーは嘘をついて二人をかばった。ここから3人は事あるごとに行動を共にするようになる。
ちなみに、物語の本筋的には、このトロールを誰が学校に引き入れたかの犯人探しが始まり、ハリーは、次の日に足を怪我していたスネイプ先生に疑いの目を向けている。
試練② ハリーのクィディッチデビュー戦
1時間15分32秒〜
ハリーは、オリバー・ウッドにクディッチを習ったり、マクゴナガル先生から、最新のホウキ”ニンバス2000”をもらったりしながら、クィディッチのデビュー戦を迎える。
そこは試練。すんなり試合が進むわけはなく、ハリーのホウキが試合中に暴走を始める。ハーマイオニーがスネイプ先生の怪しい動きを発見し、ハリーのホウキに魔法をかけているのはスネイプ先生と推測。魔法で阻止をする(結果的にだけど)。
自由に動けるようになったハリーは、相手シーカーとのチキンレースに勝利し、スニッチを奪取。見事チームを勝利に導く。
この試練では大きく2つ。1つ目はハリーの諦めない心とか粘り強い意思を見せることができた。2つ目は、前回やられっぱなしだったハーマイオニーが得意の魔法を使ってリベンジを果たし、ハリーを助けることに成功する。互いに協力して課題を解決するというチームワークを見せる事ができた。
試練③ みぞの鏡に魅入られる
1時間28分34秒〜
この試練までに、スネイプのトロール事件の関与の疑いが深まったこと(あくまでハリーたちの中だけで)、三つ首のフラッフィーが何か重要なものを守っているということやその重要なものをニコラス・フラメルという謎の人物が関与していることをハグリッドが口を滑らせたり、身寄りのないハリーが初めてもらうクリスマスプレゼントとして、謎の人物(実はダンブルドア)から、ポッター家代々伝わる透明マントをもらったことなどのシーンが続く。
手紙「君のお父さんから預かっていた物だ。君に返す時が来た。上手に使いなさい」
ハリーはその透明マントを使って、ニコラス・フラメルという謎の人物を調べるために、夜の図書館に忍び込み、閲覧禁止の棚を探す。残念ながら本は見つからずだったが、スネイプ先生とクィレル先生の言い争いを目撃する。これ自体にほとんど情報はないし、ハリーも本を手に入れられてない。
試練はこの次のシーンから。たまたま入った部屋で、ハリーはある鏡を見つける。そこには死んだはずの両親と自分が映っていた。幼い頃に死んでしまって一度も会えなかった両親。ハリーは、鏡の中で優しく微笑む両親に魅せられてしまう。
ハリーは完全に孤独なのだ。幼少時代の一番大事な時期に、親の愛情を注がれることなく、育ての親に虐げられてきた。そんな生活では、信頼も自尊心も、帰属意識も芽生えることはない。
映画をぶっ壊せ!!『ハリー・ポッターと賢者の石』編①:テーマ より
ハリーが何よりも欲しかったもの。それは家族だ。だからこそ、両親に囲まれる自分が鏡に映った。この鏡の名は「みぞの鏡」。その人の一番強い望みを映し出す。鏡を覗けば、一番欲しいものに会える。それが偽物だったとしても。そんなハリーに気づいたダンブルドアが、優しくハリーを諭す。
ダンブルドア「覚えておくのじゃ。この鏡は真実も知識も与えん。これに魅入られ身を滅ぼした者が何人もいる。明日にはこれを別の場所に移すつもりじゃ。くれぐれも言っておく。2度とこの鏡を探すでないぞ。夢に浸って、生きるのを忘れてはならん。よいな、ハリー」
アーキタイプの「賢者」であるダンブルドアが、役割通り直接的にハリーに助言を与えたのはこれが初めて。
この試練は、身体的ピンチというよりは、精神的なピンチだ。つらい現実を忘れるために夢の中に引きこもってるんじゃねえぞという、ダンブルドア校長からの愛の教育的指導により、ハリーは救われた。
試練にどんな意味があったのか
ということで、ここまで大きく3つの試練を見てきた。時間にすると30分弱。5分の1もの時間をかけている。
映画の本筋的には、正直あまり進展はない。スネイプが事件に関与していると観客に思わせるシーンが続いたくらい。まだまだ真実には遠いところにいる。
だからこそ、ハリーの能力を証明することに集中させるシーンになってる。トロールのシーンでは、勇気を持って飛びかかった行動力(体)、クィディッチのシーンでは、新たな才能を見せることができたこと(技)、そして図書館のシーンでは、偶然見つけた「みぞの鏡」の誘惑に打ち勝ったこと(心)。このいわゆる「心技体」をそれぞれのシーンでハリーが兼ね備えていることを証明している。
まあ、心技体の話は、少々強引にこじつけた感はあるけれど、シーンの役割はそれなりに理解できたと思う。
しかし、もっと大事な点が実はある。それは、3つの「試練」のシーンの共通点に関係する。
こんなブログを見ているということは、あなたはヒマである。なので、ちょっと共通点について考えてみてくれないかな。ヒントは、ハリーはまだ「ただのハリー」だということ。
……。わかったかな?
答えは…ハリーひとりの力じゃどうにもなってないということ!!
トロールのシーン。とどめを刺したのはロン。クィディッチのシーン。ハーマイオニーがいなければ、試合の続行は不可能。ダンブルドアがいなければ、透明マントで図書館には入れてないし、みぞの鏡の虜になって廃人になってたかもしれない。
うわっ…私のハリー、弱すぎ…?
一見、ハリーが弱すぎて頼りないから、仲間が助けてくれたようにも見えるし、サブキャラにもっと存在感を出すために見せ場を作っているようにも見える。
でもね、それは違う。これは、古(いにしえ)から語り継がれる物語そのもののルールに理由がある。それは、ハリーに「贈与者」がいるという事実だ。
突然「贈与者」ってなによ?という感じだね。「贈与者」というのは、前にも何度か紹介した、ロシアの昔話研究科のウラジーミル・プロップが使っている言葉。主人公を助けたり、呪物(魔法の絨毯とか魔法のランプとかそんな類のもの)を授けたりするキャラクターのことだ。役割は「賢者」とか「仲間」と同じだと思ってくれていいかな。
近代的な社会体制ができるずっと前、部族とかそんな小さな単位で言い伝えられてきた、”むかしむかしあるところに”から始まる昔話。さらわれたお姫様を助けるためにヒーローは旅に出て数多の試練を乗り越え、お姫様を助け出してきた。(なんかヒゲの生えたイタリア人みたいな名前の主人公が頭に浮かぶけど)
「贈与者」といわれるキャラクターは、その試練に対する警告だったり、魔法の道具だったり、空飛ぶ馬だったりを提供して、ヒーローを様々な形で援助する。
ただ当時のヒーローは、援助を受けるために、友情とか、責任とか、親の愛情とか、そんな合理的な理由で援助を受けたりはしなかった。何の理由もなく、ただ享受する。贈与者も親切や、その援助を受けるにふさわしい能力や、受け取る資格に足る人格も求めなかった。
現代の物語は、理由付けが非常に重要視される。すべての行動は合理的であるべきで、行動とそれに伴う結果に何の矛盾もないように作られている。どこからともなくやってきたキャラクターが理由もなくヒーローを助けたとしたら、あれは誰だ、何で助けた、何の道具なんだ、ということが気になって映画に集中できない。
このことについて、プロップ曰く、
大切なことは、けっして「善行」や「正直」ではなく、能力なのである。
ウラジーミル・プロップ著, 魔法昔話の期限, せりか書房, 1983年, p.396
簡単に言うと、援助を受けるのは、ヒーローがヒーローだからということだ。
ハリー・ポッターはハリー・ポッターだからこそ、周りに助けられる。大事な道具を授けられる。援助を受けること自体が、ヒーローである証明なんだ。
援助を受け取る合理的な理由が必要になったのは、もっと社会が発展してからだ。
社会生活が発展するにつて、法律面等で一定の規則が作り上げられた。そしてその規則が崇拝され、善と呼ばれるようになった。(中略)その善行を審査するという観念がすでに非常に早くから出現することになった。
ウラジーミル・プロップ著, 魔法昔話の期限, せりか書房, 1983年, p.396
社会の中で生まれた「善」という概念が、いつの間にか援助を受ける資格になっていったんだね。
昔話ってのは、その時代に生きる人たちにとっては、理解不能な展開が多い。物語の理屈を合わせるために、合理的な理由を後世の人達が後づけしていった感じだ。
そうしてなんやかんやあって最終的に、このハリー・ポッターが受けた試練のように友情や両親からの贈り物や賢者からの助言を得てクリアするというわかりやすい理由に置き換わったということだね。むしろ今の流行りだと、独りよがりのヒーローよりもどこか弱さがあって、仲間の力を借りながら自立していくのが王道になってるよね。
ということで、今回はここまで。だいぶ長くなっちゃった…。書くのも時間かかった…。ただぶっ壊し甲斐のあるパーツだった。次回からは、第三幕に向けて、ハリーが真実にどんどん近づいていく。
映画は、みんな素晴らしい。

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