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映画をぶっ壊せ!!『ターミネーター2編』⑩:第三幕 最終回(全10回)

このブログを読む前に一つだけ。思いっきりネタバレします。

3つのシークエンス

映画もブログも最終章。
第三幕は「解決」。いわゆるクライマックスだ。こころゆくまでぶっ壊していく。

シークエンスとしては、大きく3つ。

  1. T-1000とのカーチェイス
  2. 溶鉱炉での最後の闘い
  3. T-800との別れ

三幕で大事なのは、

本当に重要なのは、ストーリーの本質をとらえ、どう終わらせるかということなのだ。(中略)(優秀な脚本は)どんな結末かということだけでなく、それを”どう見せるか”が優れているからだ。

シド・フィールド ”素晴らしい映画を書くためにあなたにひつようなワークブック”より

構成的には正直語るところはあまりない。なぜならここまでくれば、ストーリーも人物も明確になっていて、結末は殆ど決まってる。だから、今まで積み重ねてきたものを解決に向かってひたすらに走り抜ければいい。

では、このT2はどう終わらせたかのか。そしてそれをどう見せたのか。
じゃあ、早速第三幕をぶっ壊していこう。

1.T-1000とのカーチェイス

1時間46分〜

残り20分のところで第三幕が始まる。

ジョンたちがサイバーダイン社から無事逃げることができたシーンの直後。
白バイに乗ったT-1000がサイバーダイン社に到着し、逃げていくジョン達を見るやいなや、バイクごとビルから飛び出し、ヘリに飛び移って頭から操縦席に突っ込み、パイロットに静かに、しかし断れない迫力で言う。

T-1000「失せろ」

パイロットは素直に飛び降りる。この怒涛のスタートでジョンたち3人を追いかける。

サイバーダイン社での快進撃とは打って変わって防戦一方だ。迫りくるT-1000からただただ逃げ惑う3人。
途中、サラも太腿を負傷し、T-800も性能的に劣っているため、正面からでは歯が立たない。

なんとかT-800がT-1000が操縦するタンクローリーを横転させ、製鉄所に突っ込んだところで、最初のシークエンスは終わる。

ここで重要な伏線としては、T-800がグレネードランチャーの弾をピックアップトラックの荷台に落とし、残弾がそれ一発のみということを明確に見せている。

T-1000の圧倒的な強さを見せるシークエンス。第一幕の追いかけっこ以来の直接対決。
観客は、こんなのどうやって勝つのよと思わせるのに十分なシークエンスになっている。

2.溶鉱炉での最後の闘い

1時間52分〜

ここで、絶望的だったジョンたちに最大のチャンスが来る。激突したトレーラーから溢れ出した液体窒素がT-1000を凍らせ、完全に機能を停止させてしまう。

T-800「地獄で会おうぜ、ベイビー 」(戸田奈津子版)

ジョンから習った言葉を学習して実践に生かした結果のセリフ。伏線があるからこそ生きたセリフになる。

金田「さんをつけろよ、デコ助野郎!」 

映画『AKIRA』(88)より

ポルコ「飛ばねえ豚はただの豚だ」 

映画『紅の豚』(92)より

シンジ「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」

新世紀エヴァンゲリオンシリーズより

誰もが知ってる名台詞。単にカッコいい言葉を並べただけではダメ。名台詞は、どれもその言葉自体には何の効力もない。それなのに心に残るのは、そこにドラマがあるから。それまでの物語、キャラクター、状況、すべてを積み重ねたあとで、完璧なタイミングで放つからこそ、名セリフになる。

「地獄で会おうぜ、ベイビー」に関しても、T-800がジョンから学んだことを最高のタイミングで選択して使えたからこそ痺れるセリフになったんだ。圧倒的強さのT-1000を一時的でも破壊できたこと、それに加えてジョンとの絆、マシーンが人間に近づいたこと、これが観客の心に怒涛の波となって押し寄せくる。

これは、映画的な効果の一つで、いわゆる伏線を回収すること。ジョンがT-800に言葉を教えたことの伏線をここで最高の形で回収する。しかもこれ以上ないって場所で。

そんな名台詞とともに、T-1000がバラバラに砕け散る。

ここでT-1000を破壊して、物語はハッピーエンド?いやいや、そんな簡単には終わらない。
それはなぜか。なぜここで完全破壊とならないのか。T-1000はそんなヤワじゃないってことではなくて、「物語」的に終われないのだ。それにはちゃんと理由がある。

労せずして勝利なし。

ジョンたちには申し訳ないんだけど、理由はそれ。もっと苦労して勝てってこと。たまたま液体窒素の雨に降られたT-1000がそのまま機能停止みたいなラッキーパンチみたいな感じで倒してはダメ。3人が力を合わせて、完全勝利する。これが必ず必要。ヒーローやヒロインは運に頼らず自らの手で勝利を掴み取ることが必要。だからこそ、T-1000は運良く溶鉱炉の熱で復活する。運には運で対抗だ!

ここから、T-1000の圧倒的な力で3人を追い詰める。必死で抵抗するT-800だが、なすすべなく、鉄棒を突き刺され、機能が完全に停止する。T-800はここで一度死ぬ。

さて、この主人公の死についてすこし解説しようと思う。

主人公の死

2時間2分〜

どの映画でも、主人公が第三幕で強大な敵に追い詰められ、死を経験することがよく見られる。死を経験するというのは、主人公が文字通り一度死ぬ、T-800のように機能が完全停止=機械としての死を迎えたり、あるいは主人公ではなくても、主人公に近い人物やペットが死んだり、直接的な死がなくても、比喩として死を象徴するようなものが出てきたりする。

『マトリックス』(99)では、終盤にネオがエージェント・スミスによって殺され、一度死ぬ。(直接的な死)
『ジョーカー』(19)では、アーサーは番組で自殺を企てる。(死の匂い)
『ショーシャンクの空に』(94)では、刑務所での最後の晩にアンディは自ら死を選んでしまうかのようにロープを調達する。(死を象徴するもの)
『インターステラー』(14)では、クーパーはアメリアを助けるために正直度90%でアメリアに作戦を伝え、自分の命を犠牲にしてブラックホールに飛び込む。

そして、大事なのは、死を経験した全ての主人公は例外なく、不死鳥の如く復活する

復活した後は、もう負けることはない。死を超越し、比喩的にも実際にも神に近い存在となる場合が多い。
例として上げた映画を見ても、ネオは選ばれしものに、アーサーはジョーカーになり悪のカリスマに、アンディは自由を手にし、クーパーは人類を救う。

ヒーローズ・ジャーニーと呼ばれる、主人公がヒーローになる12段階の過程を表したものがある。そのなかで、11番目の過程として、「復活」とよばれるフェーズがあり、そこで主人公は一度死んで、蘇る。

ヒーローは死と生の瞬間によって内面的な変化が起きる。同時に、その変化によって新しい人格として生まれ変わり、日常の世界に帰還することができる。

クリストファー・ボグラー著, 神話の法則 ライターズジャーニー, 愛育社, 2002, p.495

この過程は、映画が生まれるはるか昔から存在している。映画どころか、世の中にある全ての物語の起原でもある神話、伝説、昔話、お伽噺、全ての物語の中に共通している要素の一つになってる。

世界中の神話を分析した神話学者ジョーゼフ・キャンベルや、ロシア(旧ソビエト)の民話を分析、分類化をした昔話研究家のウラジーミル・プロップも物語に流れる共通の法則を見出していて、その中で終盤に主人公が一度死ぬことに触れている。

例を上げたらきりがないけれど、むかーしむかし、ある部族の中で生まれた男は全員、大人になるために、加入礼と呼ばれる儀式を行っていた。その儀式をクリアすると大人の一員になれる。その儀式はいろんな形があるけれど、共通するのは一度死に、新たな生を受けてこの世に復活する。というものだ。

では、そんな歴史深い「死と再生」。
では一体、死んだことで何が起きているのか。再生することで何が起きているのか。

めちゃくちゃ簡単に言うと、あの世で特別な力を得て、新しい自分に生まれ変わって復活するということ。だ。
それを映画の中で直喩的に、隠喩的にもいろんな形を使って表現してる。

強大な敵に打ち勝つためには、生という枠組みから一旦外れて、あちら側の世界から力を持ってくるようなことをしないと、絶対に勝てないということを示唆してる。

そんなことが出来るのは主人公だけ。なぜなのか?
理由は簡単。主人公は特別だから。

じゃあ何が特別なのか?

それは、自己犠牲だけで死ねる人間だから。一体何人の人が、世界のため、他人のため、正義のため、愛のために、自ら死ぬ覚悟を持てるだろう。だからこそ、主人公は選ばれしもので、その自己犠牲の報酬として、超越した力を得る。

実は、映画のほとんどが、大小はあれど、主人公がその特別な力を得るのに値する人物になっていく過程を映し出しているんだ。

『インターステラー』のクーパーも最初から自己犠牲を払えるような人物ではなく、娘のためにさっさとミッションを終わらせて帰りたかった。
『マトリックス』のネオも自分が救世主と呼ばれること、それに値する能力を持たない自分とずっと葛藤していた。

T-800は機能停止して特別な力を得たわけじゃない。けれど象徴として一度死に、復活するという「儀式」は物語の構成上、非常に大事なシーンとなるんだ。

復活してからのT-800はもう負けない。破壊された体を引きずりながら、再びT-1000の元へ。不死鳥のごとく蘇ったT-800がとどめを刺し、T-1000を溶鉱炉へ落とす。T-1000は断末魔をあげながら、完全に沈黙する。

ジョンはT-1000の破壊を確認したあと、盗んだコンピューターチップと腕を溶鉱炉の中へ投げ込む。

ジョンは見事にT-1000を倒し、生き残ることができた。第一回で明らかにした映画のメインテーマ「生き残る」の答えがここで出る。そしてチップも破壊し、戦争も食い止められ、生き残ること以上の結果を出すことができた。

これで全てが「解決」したかと思いきや、真のテーマ「家族の再生」の答え合わせがまだ残っている。そのための大きなドラマが最後に待っている。それは・・・

たいていの映画のヒーローは以下のような二択を迫られる。

残るか、立ち去るか

西部劇の名作映画『シェーン』(53)では、一匹狼の主人公シェーンは困っていた町の人の問題を解決したあと、残るよう求められながらも居心地の良かった世界を立ち去る。なぜなら、シェーンはそのコミュニティにとって異質な存在だから。そこに住み続けても到底馴染めないことは明白だ。それを本人もわかっているからこそ、立ち去る。

T-800も同じ道を辿る主人公だ。
T-800は自分のチップも破壊せねばならない、この世には残しておけないと話し、自らを破壊するようサラに頼む。もはや家族同然のT-800に対して、ジョンは泣きながら止める。T-800はそんなジョンを優しく抱きしめる。

T-800「なぜきみたちが泣くのかわかった。わたしには真似のできないことだが」

ジェームズ・キャメロン&ウィリアム・ウィッシャー著, コンプリート・スクリーンプレイ「ターミネータ−2」, 1992年, p.321

殺人マシーンが泣くことの意味を理解することで、人間の感情の中で一番深いところにある「愛」を理解し、最後の最後で限りなく人間に近い存在になることができたのだった。サラも夫婦ではないが、同士としてT-800を固い握手を交わす。3人は本当の家族ではないし、一人は人間ですらないが、この闘いを通じて家族以上に強い絆で結ばれてたことで、真のテーマ「家族の再生」に対して最後の「解決」が成される。

こうしてヒーローは死んだ。しかし、彼の死は決して無駄にはならない。

サラ「未知なる未来がこちらへとやって来る。わたしは初めてそれを希望の目で眺められた。なぜなら機械に、ターミネーターに人間の命の価値が学べるなら、わたしたちにも、そうできるかも知れない」

ジェームズ・キャメロン&ウィリアム・ウィッシャー著, コンプリート・スクリーンプレイ「ターミネータ−2」, 1992年, p.321

終劇。

これがT2の「解決」だ。最後のメッセージはこの映画で一番言いたいことで〆る。
全ては最後のメッセージが言いたいがために、映画は作られていると言っていい。脚本を書くときも、まずはエンディングから作れとある。最後を知れば、最初は自ずと決まってくる。

脚本のもっともよい始め方はどんなものか?それは、エンディングを知ることだ!

シド・フィールド著, 映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと, フィルムアート社, 2009年, p.352

第一幕から第三幕をぶっ壊してみて、映画の構成がいかに意図的に考え抜かれているかを少しでもわかってくれたら幸い。これはT2だけではなく、ほとんどの映画にあてはまるもの。しかしながら前にも書いたように、

構成によってストーリが決定されるわけではない。パラダイム(構成)とは、良い脚本の土台であり、ドラマ構成の基礎である。

シド・フィールド著, 映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと, フィルムアート社, 2009年, p.352

構成に囚われては、名作は生まれない。しかし、基礎を知らなければ名作も生まれない。と思う。

映画館に行って、映画がつまらなかった時、この構成の話しを思い出してみてほしい。何がつまらないか、何が足りないのかわかるかもしれない。何より暇つぶしになるのでオススメ。ちなみに映画が面白かった場合は、構成の話なんか考えてる暇はない。夢中になろう。

ここまで読んでいただいた方には感謝しかありません。ありがとうございました。
ではまた次の映画でお会いしましょう。

映画はみんな、素晴らしい。

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